Creature Comforts

慢性的中二病

 プロミスト・ランド <ネタバレ注意>

命も狙われないし、暴力で物事を解決しないのがとても違和感のあるマッドデーモン主役の作品。


 

シェールガスを掘るための契約に来た大手エネルギー会社の社員とさびれた田舎の人たちとのやり取りを繊細に描いていてとても素敵な作品だと思いました。

なんとなくテーマとして柘榴坂の仇討にも似ているところがあるかなと思っていて、今様々な事情をかかえてやらなくてはならない事がある一方で、本当は心の中にこうであるべきではない、なりたい自分との葛藤がストーリーに味をつけていく。揺れ動く心の中で別の価値観を持つ他人とのかかわりあいの中でやっぱりあるべき自分を表に出していくという流れ。一方はアメリカの現代の問題を題材にし、もう一方は日本の時代劇で、こうしたテーマがリンクしているのは人間がもつ本質的な悩みが一緒ってことなんでしょうね。

こうした穏やかな映画は人間の心の動きを考えさせられます。でもそろそろ派手なアクションを観たいかなー。

 

 

 

ライムス名曲紹介#1:プリズナー No.1,2,3

Rhymesterの曲をひとつひとつ紹介して、何がすごいのかを自分なりに分析する完全自己満足規格の第一弾。最初にどの曲を紹介する曲は迷ったんですが、アルバム「ウワサの真相」から「プリズナーNo.1,2,3」って曲をご紹介させていただきます。

 


Rhymester/プリズナー No.1,2,3 - YouTube

 

まず初めに、ラップの曲に必要と不可欠な韻ふみ(ライミング)をみてみると、一小節と二小節の言葉の終わりが韻ふんでいて、三小節以降はまた別の韻で踏む形で進められています。基本ワンペアの韻。同じ韻をごりごり進めていくパターンが多いRhymesterにとってはとてもシンプルな韻のふみかたといってよいと思います。

ただし、この曲がすごいのは強烈なストーリーテリングなのです。オムニバスの短編が3つ並べられているような形で進められているのです。これは歌詞も貼り付けてあるので曲を聴きながら是非吟味してください。

登場人物は3人の囚人。この囚人は監獄のなかでそれぞれの自由を追い求めていく話が進められているのです。このことはベストアルバム「メイド・イン・ジャパン」のブックレットに記載されているので引用しようと思います。

宇多丸:まず”自由”に対する3つの態度の違いっていうアイデアが浮かんで、それを脱獄のメタファーでストーリーにしたらおもしろんじゃないかってDに伝えたんだよな。1番は環境に不満があってもあくまで自分の内面に自由を求める人。2番は環境に不満があったらそれを努力して改善することで実質的な自由を確保していこうとする人。3番はその枠組み自体から脱出することで本質的な自由を追求しようとする人。ただし、どこに行こうと人間が生きていく以上、”枠組み”はついて回るわけで、3番はひょっとしたら絶望的な戦いをしえちるのかもよ、というところまで含めて寓話にしようと。 

この言葉踏まえてもう一度歌詞を見てください。見事にこの3人の物語が描かれているのがわかるかと思います。これを気持ちい韻とボサノバ調のトラックで音楽的にも心地よいかっこいいのですよ。

このストーリーの内容はまんま私たちの社会生活のメタファーにもなっています。人間だれしも自由はよいという認識があります。自由になりたいと思っています。でもその自由っていったいどうすることなのか。どこまでやることが自由なのかはやはり人それぞれ違うのです。この曲で語られているのは、心の中で満足するレベル、環境の改善するために動く人、さらにその環境から抜け出そうとする人、の3タイプ。あなたの所属する会社やサークル、部活での環境で不満があった時にあなたのとる行動はどれでしょうか。一見、3番目が一番自由を求めていて、かっこいいと思うかもしれないですが、実は相当の覚悟がないと選べない茨の道なのです。もし、自由=楽な事、という認識を持っていた人が選択すると目も当てられない状況になる代物です。

この自由の定義を解釈し、映画のような物語をラップにのせて伝えるという、とても高度な技術がこの曲で使われているのです。

 

 柘榴坂の仇討: <ネタバレ>

この映画は評価が高いのは納得できる・・・ところもありながらちょっと気になる点も残ってしまったのが正直なところです。

安政七年三月三日、江戸城桜田門外で大老井伊直弼中村吉右衛門)が襲撃され殺害される。主君を守り切れなかったことを悔やんでも悔やみきれない彦根藩士・志村金吾(中井貴一)のもとに、仇を討てとの藩命が下る。明治の世になり時代が大きく変わっても武士としての矜持を持ち敵を探し続ける金吾。一方水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)は井伊直弼殺害後、俥引きに身をやつし孤独の中に生きていた。そして明治六年二月七日、仇討禁止令が布告される……。
 柘榴坂の仇討 | Movie Walker

全体としてとても日本映画的な美しさがでていると思いました。登場人物も名優ぞろいだけあって、心情の機微や立ち振る舞いなんかが繊細に表現されているのは間違いないと思います。

中井貴一演じる志村が明治という大きな時代の変化の中でもなお、侍であり続けようとする生き様、そんな旦那を陰で心配しながらも思いやる妻のせつ(広末涼子)。一報で敵役の佐橋(阿部)も物静かながら純朴さがにじみ出ているなど、魅力あふれるキャラクターがそろっていました。

 

ただどうしても気になる点があり、鑑賞中もそれが気になってしまってどうしようももありませんでした。完全にオチのネタバレになってしまうのですが、最終的に志村は13年探し続けていた敵討ちができる直前でそれを自らやめてしまうのです。そんな重要な心境の変化があったのですが、その明確なきっかけが描かれていないのです。(いるとしたら私は拾えませんでした。)

もちろん候補は考えられるのですが、どれも反証があがってしまうのです。

  • 仮説:「過去を背負いながらもひっそりと生きる佐橋を前にして、討つ気がなくなった。」-> そんな描かれ方はしていませんでした。
  • 仮説:「時代が変わった・仇討が禁止された」→ そんな気持ちで13年間探し続けていたの?
  • 仮説:「好きだった殿様の残した言葉が抑制」→ 13年もかけないでもっと早くに気付いてよ。
  • 仮説:「妻に迷惑がかかるからやめた」→ もう十分かけた上にこのタイミングでやめるんだ・・・。

僕はなにか心情が動く瞬間のきっかけの仕掛けを重視してしまう人間のようで、友人から「きっかけ」フェチだと言われたこともあります。でも、人間か変わる瞬間、つまりなにか成長する瞬間ってそれを呼び起こすトリガーがあってしかるべきだと思っていて、逆にそれが見えてこないと嘘くさく見えてしまうんです。直接的に示す必要はないのですが、なにかしらないとモヤモヤするのです。

今回の場合は13年間、周りにバカにされたり心配されながらも芯を通し続けていた仇討が目の前でやめてしまう、大きな心変わりがどっかにるはずだと思うのですが、それを読み取ることはできませんでした。もしくは意図的にそういう作りにしているのかもしれませんが。

どちらにしても、それが気になって最後の素敵なシーンも集中できなくなってしまいました。結局、モヤモヤしながら映画が終わる結果となってしまいました。。。

 

 劇場版 ~零~ :ゲームファンも満足の要素満載!<ネタバレ有り>

この零って映画は事前にあまり宣伝もしてなくて、公開日になって初めて知った作品ではあるのだけど、この「零」シリーズの大元となったホラーゲームも少しやったことがあるので、ついついチケットぽちっとしてしまいました。

こんな私ですがホラー映画とか苦手です。いっつも映画が始まってから見たことを後悔してしまうのですが、またあの刺激をもとめてついつい観てしまいます。軽いホラージャンキーなのかもしれません。

で、この零ですが、元のゲームシリーズの要素をふんだんに取り入れていて、ゲームファンも満足する内容ではないかと思いました。ゲームとリンクする要素を今から列挙します。

1.カメラ

零シリーズでのお化けに対抗する武器といえばもちろんカメラです。そのカメラももちろん登場します。今回は武器というよりは呪いの元凶となるアイテムになりますが・・・。

2.儀式と呪い

ゲームでは必ず儀式が出てきますよね。小さな村の非人道的な儀式で犠牲になった人の呪いが物語を進めていきます。

映画でもある儀式がでてきます。それはちょっとした学生のおまじないではあるのですがその儀式による呪いが事態を深刻にしていきます。

3.美少女

ゲームの主人公はみんな美少女でしたが、映画では、クリスチャン系の女学院にかよう女学生になります。そんな主人公を含め登場人物がみんな美少女。ホラー映画と美少女は鉄板の組み合わせですね。かつそんな女の子たちのソフトな百合表現。お化けとは別の意味でドキッとさせられました。

 

このようにゲームの世界をそのまま実写化したような設定なっています。ミステリー要素ももちろん強くて、種明かしもありますが、ちょっと腑に落ちない点などがあるにはありました。でも全体的に脚本もしっかりしていると思います。さらに無駄にびっくりさせるために音をだしたり、いないいないばぁタイプのドッキリ演出も少なく、怖さと切なさを美しく表現していて、私の好きなタイプのホラー映画でした。

猿の惑星:新世紀(ライジング) ネタバレ有

いや、完全になめていた。本気で素晴らしい映画でした。

 

人間対猿の対決は完全に今現実問題で起こっている民族問題の縮図となっていて、なにがきっかけで争いの火種がおき、対立が解決しないのか、その根深さが分かりやすく描かれていた。

人間とサルの間でも一部友好的な関わりあいがあって、話せばわかるよねって雰囲気を醸し出すんだけど、お互いの内面に含む圧倒的なまでの「臆病さ」と、それからくる不信感がこうした種族の対立問題を複雑にさせていく描写が細かくて素晴らしい。

特に今回悪役となった猿のコバ。最初は仲間を守るという目的をもって人間とたたかわなくてはならない、というスタンスだったはずなのに、だんだんとダークサイドに落ちいていく過程で何が何だか分からなくなった結果、人間を滅ぼすという「方法」が「目的」になっていっていく流れが悪役としてとても魅力的。そしてこういうことって民族問題でよくみられる現象ですよね。近視眼的な発想が行き過ぎると優先順位がひっくりかえってしまうところとか。

ただこのコバにも事情があって、まだ人間が支配していた時に虐待を受けていた過去があり、根深い人間に対する恨みをもっている、というのがとてもさりげなく描かれていているあたりがとてもよい。きちんと細部のリアリティをもったSFはこのうえなくよい作品になるんですよ、これが。

こいつはかなりお勧め度が高い作品になります。

Newton 2014/10 首都圏巨大地震特集

御嶽山が大噴火をおこし、今なお取り残されている人達がいるという。そんな方帯の一刻も早い救助を願ってやまない。

こういう災害を目の当たりにしてあらためて自然の驚異と、人知の限界に毎度のことながら気づかされる。テクノロジーの進化をして安全・安心が当たり前の世界で生きているのだが、こうした自然の前での我々の知恵はひとたまりもない。こうした自然災害のなかで我々日本人が一番恐れなくてはならないのは大地震だろう。

Newtonの10月号を遅まきながら読み終えた。首都圏巨大地震の特集はそんな自然災害の発生メカニズムと、実際に起きた際の都市機能に与える影響点をまとめ上げていて大地震の恐ろしさを再認識させるよい特集だったと思う。是非、首都圏で防災関連に携わる方たちは一読していただきたい記事である。2011年の東北の震災も首都圏に被害をもたらしたが、それでも距離があったため被害は限定的であったともいえる。しかし今後近いうち(30年以内に70%)にM7級の地震が起こるとされていて、その被害はさらに大きなものになることが予想されている。さらに180年~590年の間隔でおこるとされるM8級の震災も油断できない。

首都大地震における被害は大半が火災によるものになる。大規模箇所で出火してしまった場合、消防が間に合わない。そもそも電気が切断されてしまっている状態でどこまで消火活動ができるのか。さらにその電気を作るのに必要な火力発電所で大規模火災が発生してしまい、そうした消火活動に必要な電気の普及に時間がかかってしまう可能性がある。

こちらの特集では、もちろん火災だけではなく、建物の崩壊や津波の影響など詳細にデータがレポートされている。当たり前のことだが、日ごろ自分の住んでいる地域の災害に弱い部分を認識しておいて、いつ起こる変わらない自然災害の対策を皆が共有できていれば、こうした被害を低減させることができるはずだ。この記事はそのヒントとなる情報が多く含まれていた。