Creature Comforts

慢性的中二病

finalvent著 「考える生き方」

なんか、こういう本を20台前半に読んでも響かなかっただろうな。30代超えて、少し自分の人生についての終わりがちらりと見えるようになったからこそ響いてきている気がする。そして5年後、10年後で印象が変わるような気もする。

考える生き方

考える生き方

著者についてはアルファブロガーで長文を書かれていることは存じ上げていたが、何者かはよくわかっていなかった。正体はやはりブロガーだったみたいだ。

印象的だったのは、冒頭の著者の人生について「からっぽだった。」と総括しているところ。なんか響く。勝手に予想させていただくと、たぶん、何者かになろうとしている気持ちがあるまま年老いてしまって、何者にもなれていない、切なさみたいのが滲み出ている。30を超えた自分も、20台のころ描いていた30とはだいぶ遅れをとっていて、「あれ、なんか間違っているな」と感じることがある。多分そのずれは年を取るごとにましていきそうな気がする。

ただし、悲壮感はあるわけではなく、どちらかというと違和感なのではないかという感じ。

この感覚は他者からみて「何者=成功者」になった人にも実は備わっている気がする。(これは自分が成功者であることを遠まわしにいっているのではない。念のため。)結局なにか高めの理想を持っている人で、特にそれに向けて努力して来た人に多いのかもしれない。(私のことではない、念のため)。永遠に届かぬ完成形を夢を見てきた人なのだ。(ここだけは少しあてはまるかも。)

このfinalventさんもこの本を読む限り、決して平凡な人生ではないと思う。才能があり、勉強もでき、ブロガーとしても大成している。彼の生き方を羨ましく思う人もいるはずだ。(難病を患ってしまっており、そこは非常に気の毒なところなのではあるが・・・)

彼の人生を交換はできないが、私も彼の生き方を真似をして60手前で振り返りたいと感じた。悲壮感ではなく、違和感として自分の人生が「からっぽだった。」と振り返るのも悪くない気がする。ただそのためにはこれかもよりいっそう精一杯考えながら生きつづけなきゃいかんな。

これは20代のころは苦であったが、今はすこし楽しく考えるようになっている。