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慢性的中二病

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)


これは超面白い本。本作品はドイツ人でありながら禅の修行を求めて、来日し、ついには住職になったネルケ無方さんの自伝ともいえる書。題名から自己啓発や仏教の堅い本に見えてしまうのがとてももったいない、異国のものから見た日本の仏教の姿がありありと描かれている。

本書のポイントとしては、次のみっつ。

  • なぜ著者が禅を求めたか
  • 彼の目に映った日本の仏教の姿
  • そして彼の仏教感

よく都会のギャルより田舎のギャルのほうがエスカレートしているという話がある。テレビで見る都会のギャルにあこがれ、真似をし、それが行き過ぎた結果、本家を超えてしまったのである。
ネルケ氏がドイツで見て感じた禅、日本の仏教はおそらくそんなところがあるのかもしれない。憧れ、羨望がイメージの中で洗練された仏教徒なって日本での修行をかりたてて日本にやってくる。しかしそこで見たのは葬儀屋の下請けになって死人を相手にビジネス化された日本の仏教のすがたである。
そんな落胆にもめげずに京都や兵庫の寺に入門し修行をはじめる。その中の描写が特におもしろい。たんたんと描かれているのだが、寺には聖人がいるわけでもなく、妙な縦社会の人間関係が様子が妙に生々しいのだ。
さらにその後、寺での修行生活に嫌気がさした彼はホームレス生活を始める。大阪で青空座禅教室を始めるのだ。なんとなく、教会が金儲けにはしったことに反発を覚え、個人がキリストの教えを守ることが大事だというピューリタン革命の考えに通じるものがあり、そのへんは彼の血がもたらすものなのかと考えてしまった。
こうした、彼の仏の道のもとめがとても面白く書かれているのだが、本書を通して著者の仏教・禅に対する信念がまったくぶれていない。その芯をきちんと持った彼の重いがあるので、日本の仏教の商業化やイメージと違うお坊さんが悪いイメージをうけずに淡々と描かれている。
日本人が忘れた仏教を改めて目覚めさせてくれると同時に、芯を持つことにより道が開けていくのだというのを実感させられる一冊である。